地域に溶け込み、街をひらく。
腕と腹部がキリっと引き締まった三、四十の男が出たことを確認し、身体を拭き上げ、蒸気が立ち昇る室内へ。中には脹よかな地元の住人らしき男が三人、一人は可愛げなハットを被り、にじみ出た汗が腰にかけたタオルを濡らしている。狭い室内を掻き分け奥の二段目へ腰を下ろすと、何やら、檸檬や八朔、ポンカンの話が耳に入ってくる。
先日尾道瀬戸田へ訪れた際、naru developmentsの手掛ける旅館・銭湯のyubuneのサウナを楽しませていただきました。そこでは、老若の仕事終わりの男たちが、それぞれに自己と向き合い、時には仲間やその場に居合わせる人たちと語らっていました。その輪に私も交ぜていただき、農業や観光、地域のコトを語らうことができました。
「じゃっ」と手短に言葉を交わし、立ち上がる一人は颯爽と扉を開け外へ。男から湯気が立ち昇るのが曇ったガラス窓から見えた。また一人は腹に抱える太鼓を叩きながら、外へ出て水を食らっている。ちょうどその頃水風呂の辺りから、似つかわしくない甲高い声をあげ、ザブンザブンと水を被る音がする。「ほっほぉ〜、やってんねぇ」と、隣のおじさんが呟くと、俺も行ってくらぁと立ち上がった。暑い室内に一人残され、この不思議な感覚をゆっくり見つめてみる。
じっくり考えると「あ、よく開いてるんだ」と、街が開いていることを初めて実感することができました。この心地良い街の解け合いは、さまざまなサーヴィスを現代の文脈にて提供するディレクター・クリエイターと、それをよく分からないながらに応援する地元の方々。これは双方の歩み寄りが不可欠で、また両者に相応の敬意がないと成り立たないように感じます。
「街を開く」という言葉は、さまざまなサーヴィスを複合的に展開し、人を呼び込み活性化させる際など「まちおこし」に近い文脈で、よりカジュアルで親しみやすいことを強調する際、使用されるように思います。ただこれは、想像以上に難しく、類義語は「まちおこし」なんかではなく、「街への解けこみ」だったりするように思います。これは、地域や文化・伝統の理解と尊重を要しますし、「カッコつけないブランディング」の一環として利用してしまうと、少々痛い目に遭いそうな気がします。
やはり基本的なところではありますが、シティで散見する、空気感やコミュニティに依りきった、また人ありきのブランディングではなく、ブランドの軸を言語化し強みへと変換したブランド構築、そして丁寧なワードチョイスと地に足ついたヴィジュアル構築は重要だと感じます。また、キーワードとして、共存や、自然体、またどこまでいっても丁寧な対応は挙がるかと思います。
これは数を捌く必要のあるビジネスの場合、若く勢いのある層を狙い、またそれと同時に、ブランディングの一環として幾分か囲いこみ、ある種のコミュニティ(ネガティブな文脈での"界隈")形成に動くこともあるかと思いますが、非常に難しいように感じます。というのもそのコミュニティは民度により、他を寄せ付けないこともしばしばありますし、独特の空気感を醸してしまうからです。そのため、常にディレクターないし、トップの人間による再教育を継続的にしていく必要があるように感じます。
その点、今回訪れたyubuneやazumi、SOIL Setodaは、バリアフリーと表現するのが適切なのか、とても街にひらていたように感じます。
今回「街をひらく」と平仮名で表記したのには、街を開こうとするブランドやディレクター、デヴェロッパーが、「開く」以前に「拓き」、そして「展く」必要があると感じたためです。街に既存にあるものを受動的に脳死的に利用するだけではなく、活用し、時には新たな魅力を発掘する必要があります。「古いままが良いんだよね」や、「あえて手を加えない抜け感」ウェイ的なそれは、思考の停止であり、「引き算のなされていない余白」に匹敵するほどの虚しさです。それを現代の文脈に沿ってディスプレイするのも街を「開く」のに必要だと感じました。そのための「ひらく」ですね。いやぁサウナはつい熱くなってイカンですなぁ。
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途中追記していきます